誰かコントラバスをやってくれる人はいるか?
はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
「私コントラバスをやりたいです。」
中学時代の部活のパート決め、自分から志望した。
だって、オーディションで第一希望のフルートに落ちてしまったから。このままでは、音の出なくて人数の多いクラリネットパートになってしまう。それだけは避けなければと考えた行動だった。
しかし、私は肝心なコントラバスを見たことある。だけであった。
皆さんはコントラバスという楽器を知っているだろうか。
全く名前を聞いたことない人もいれば、見たことある人はなんか大きいバイオリンみたいな楽器と良く言われる。吹奏楽でもオーケストラでも舞台の端っこにいることが多いため、なんとなく見たことがあるという人もいるのではないだろうか。
コントラバスは約2メートルくらいあり、バイオリンを縦に起こしたような楽器で立って弾くことが多い。
音は低音で吹奏楽、オーケストラでも1番低い音が鳴る。
コントラバスを志望したとき、小学校には吹奏楽部があり、友達が弾いていたなという印象しかなかった。先生がやりたい人がいないか聞いたからなんとなく志望したのだった。
しかし、ここから部活漬けの中学3年間が始まるのであった。
私が吹奏楽部に入った理由は楽譜が読めるようになりたいからであった。
本当に初心者な理由である。
しかしここは公立の中学であるにもかかわらず部活に力を入れている吹奏楽部であった。
それを知らずに私は入ったのだ。
そして中学の頃の私は人の話をちゃんと聞いていないのである。顧問の先生がコントラバスを募集した時こういったのだ、
「コントラバスパートの人は大会にも出る」
と言う一言を聞き逃したのだ。
ちなみにこの大会に出ると言う一言は中学2年生に上がってから友人に言われて気がついたのであった。
最初に先輩からコントラバスを教わった。
しかし教えてくれた先輩は打楽器担当の先輩で小学校の頃にコントラバスを弾いたことがあると言うことで教えてくれたのであった。しかし、つきっきりで教えてくれる期間は少なく、弾き方と少しの楽譜の読み方以外はほぼ独学なのであった。この頃、私はインターネットに詳しくなくて、家にも親の仕事用のパソコンしかないためYouTubeやインターネットで調べると言う考えには至らなかったのである。ただ、ひたすら言われたことを反芻しながら、教本を読み弾けるようにしたのである。
今考えると私にとってはとても大切な思い出だが、周りの人からすると楽譜も読めない楽器も引いたことがないそんな人を指導するのはとても大変であったと思う。
それでも、周りの人がとてもいい人たちで丁寧に教えてくれたり、楽譜の読み方を根気強く教えてくれたり優しい人達であった。
そして、ここの部活は楽譜が読めない子が来るようなところではなく、全国大会を目指して日々切磋琢磨するような部活であった。このことに気がつくのは6月から始まる合奏練習の最中であった。
そして1年生の大会、夏休み中に事件は起こる。
吹奏楽の合奏中、安定の悪い楽器は先生から指定の音を吹き、チューニングする。
その時、チューニングを受けていたのは
その時の私は合奏で指摘されたところの楽譜を読むので精一杯だった。そこに突如「コンバス、ソ!」と顧問の先生に言われとっさに、コントラバスの第一開放弦であるその音を引いた。
一瞬、音楽室が静まり返って、笑いに包まれた。
コンバスはコントラバスクラリネットとコントラバスを略す時も使うため、私が勘違いしたのだった。
その時不機嫌であった顧問の先生も笑い、先輩も笑っていた。一瞬で重い空気が少し軽くなったのである。私はこの日を境に、先輩方や顧問の先生に気に入られたのか、少しずつ話すようになりと仲良くなっていったのである。楽器を志望した日とこの真夏の暑い音楽室でみんなで笑った日の事は10年以上経った今でも鮮明に思い出す。
結局この年の吹奏楽部の大会では東海地方大会まで進み、金賞をもらうことになるのである。